今回は、河合隼雄『こどもはおもしろい』(講談社+α文庫)をご紹介します。本書は、13人の学校の先生と河合先生の対談という形で進められますが、子ども達に、スタッフとして、あるいは家族として、さらに広くは人として、自分は相手とどう関わりたいのかという信念のようなものを考えるきっかけやヒントを、たくさん与えてくれます。
「ゆれる思春期」では、思春期の子ども達とかかわることの難しさを痛切に感じるとともに、彼ら・彼女らがどれほどに、ひとと実感をもってかかわり合いたい、ぶつかり合いたいと欲しているかということを教えてくれます。ほんの一部分ですが、以下に紹介します。
・・・短編小説を生徒に選ばせて授業に使うなどというのは、たいした工夫である。 こんなときに何気なく持っていく(ように生徒には見える)小説をどれにするか。それを選ぶためには先生自身が小説をよく読んでいるのみならず、中学生たちの気持ちもよく知っていないといけない。案の定、それに対して真正面から反応してくる生徒がいて、「おまえらの中に父ちゃんがおって楽な家と、父ちゃんがおらんほうが楽な家はないか」という鋭い問いかけが同級生に対して投げかけられる。 それまでためこんできた知識の言葉みたいなものが、吹っ飛んでしまう。しかし、ありがたいことに、それに対して「お父さんがいないからといって、みんなひどい状態の家であるように思われては困る」と、涙を流して言う女生徒も現れる。 先生の提供した場の中で、生徒たちが真剣にぶつかり合っているのだ。 生徒たちのこのような可能性を信じることが教師の務めなのである・・・
このような、彼ら・彼女らのその真摯な思いには、その重みの分、怖さすらおぼえます。しかしながら、「ユニークな宿題」や「恨みつらみを丸出しにして作文に書く」では、その「怖さ」にもつながり得る子ども達のエネルギーを、いかにおもしろさや楽しさ、ひいては創造性に変えていくか。そして、そうやって生じたおもしろさや楽しさは、消費のような刹那的な快の感情には終わらない広がりや豊かさをもっていることを教えてくれます。
また、「『学校教育』は教育のほんの一部」や「厨房は大事な教育者である」や「生徒の心のよりどころ」からは、子どもが育つ「場」を考える時に、現代の社会はものすごいスピードで変わっていきますが、その中でも変わらない、根源的に大切なことを思い出させてくれます
教師 「土曜日の9時から12時まで職員会議。何をやるかというと一人ひとりの点検なんです。
普通の学校の場合は教科の先生だけですけど、うちは寮監も厨房も事務も参加するんです」
河合 「厨房も入るのか。そりゃすごいね」
教師 「厨房がいちばん権限を持っている。子どもに怒鳴るのは厨
房だけですわ。食べものってすごいですね」
河合 「厨房はどうやって選ぶんですか。」
教師 「はじめはパートが入っていたんですけど、それではだめということで今は
私の教え子がやっています。 ひっこぬいてきたんです」
河合 「それはものすごい大事なことだと思うんですね。 みんなよく失敗するんですね。
先生と厨房とは違うと思っているんです。厨房の人の方が大事な教育者なんです。
ものすごく大事な教育者・・・
さらに、生徒との「対決」の必要性について。 「厳しい対決の姿勢とそれを行うエネルギーを持たず、生徒の『自由』や『自主性』を尊重しようとするのはナンセンスである」。 「『抱きかかえて待つこと』がいちばん大切というときがある。 しかし、考えてみると、これも『対決』 の厳しさによって支えられているものなのだ」、と。
また、「教師は、へたをすると、成功した一つの方法に固執しがちになる」という言葉も、私たちが自覚しておきたい戒めの言葉でしょう。
教師の事件にしろ子どもの事件にしろ、ネガティブな事件ほど、マスメディアに大々的に取り上げられ、教育や学校に対して厳しい目が向けられることの多い昨今ですが、本書には、創意工夫をこらしながら、子ども達と生き生きとかかわっている先生方がたくさん登場します。設立から3回目の夏を迎え、西濃学園と名称新たに歩みだした、私たちスタッフも、このような姿勢を大いに見習いながら、私たちの発想をどんどん活かし、子ども達と共に切磋琢磨していこうと奮闘を続けていきます。