学園日誌

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10代のメンタルヘルス【9】 喪失感

今号から、10代のメンタルヘルス?H 喪失感 (大月書店) を紹介します。



精神医学や臨床心理学の領域では、人間には何かを失ってしまうことによって心身に何らかの変調をきたすことがしばしばあるということを、人間理解の基本にしています。

それを本書では「喪失感」といっているのですが、喪失感を味わう体験をより専門的には「対象喪失」といいます。

対象喪失というのは、具体的には、


?@自分が愛している人あるいは依存している人を失うこと、例えば死別、母親との分離、友人の態度変容(無視されるなど)による関係の疎遠化、子どもとの分離、失恋、別離等々、

?Aそれまでの慣れた環境からの転出、例えば引っ越し、海外転勤、転職、定年等々、

?B自分の大事な所有物を失うこと、例えばお金の紛失、大事なペットの死、病気によるある器官の喪失、失業等々をさしています。

それらの体験を総称して本書では喪失と言っていますが、人生には大きな喪失から小さな喪失まで無限といってよい喪失があります。そのたびに私たちの心身の世界ではなんらかの変調が起こるのですが、それを上手に乗り切って自分を取り戻していかなければ、前向きに生きていくことができません。


では、喪失が生じると、なぜ心身に変調がきたされるのでしょうか。


簡単に言うとそれは、既に対象そのものはなくなっているのに、私たちの心の世界ではまだその対象に対する憧れやこだわりが残っているため、ないものへ心のエネルギーを向け続けるという無理が生じるからです。憧れ続けても報いられない心の営みが、苦痛を呼ぶのです。

 
この苦痛から解放されるには、その対象に対する憧れやこだわりを、つまるところ断念し、心のエネルギーがそちらに向かわないようにするしかありません。

このことは誰でも理屈では理解できると思います。断念するしかないのです。恨んだり、こだわり続けたりすれば、自分が苦しくなるだけです。

結局は断念するしかないのですが、しかしこの断念はそう簡単にはすすみません。

上手に断念するには、時間とそれなりの作法が必要なのです。


 
フロイトは、かつてそうした対象が失われることによって生じる喪失の体験を「悲哀の仕事」と呼びました。仕事というのは比喩的な言い方ですが、あきらめようと懸命に努力したり、つらさを誰かに訴えたり、

他の事で気を紛らわせたりして、何とかつらさから解放されようとしていくプロセスを、心が仕事をすることと考え、「悲哀の仕事」あるいは「喪の仕事」といったのです。

本書では、喪失に伴う悲哀の感情に対処していくことを「悲哀の作業」とし、悲しみを癒していく具体的な作業を「喪の仕事」としました。

 
本書は、こうした喪失感にどう対処し、どう克服していくかということについて書かれたもので、喪失という体験をした若者に、そこで味わう悲哀感は誰もが経験するものであること、それから抜け出るには時間もかかるけれど、それなりの方法や作法があり、それをわかって対処すると苦痛を不用意に拡大しなくてもすむことなどを、丹念にわかりやすく説いたものです。

 
アメリカでは、離婚によりいずれかの親を喪失する、ということがかなりの率で起こりますので、喪失の問題はマイナーな問題とはいえなくなっています。

日本でも、いじめが深刻化して友人を失うことがしばしば起こっていますし、仲間関係のいざこざで深刻な喪失感を味わっている思春期の子どももどんどん増えています。

転勤によって故郷や友人を喪失することも多くの子どもが体験していますし、離婚も先進国並みに、3人の若者が結婚すれば1人は離婚する、という割合になってきています。

ですから、喪失の問題は、日本でも決してマイナーではなく、誰もが体験するむしろメジャーな問題といえる時代になってきているのです。


それでは、本書を見ていきましょう。


改めて、喪失とは、何かを失うことです。

人生に喪失はつきものです。毎日何らかの喪失が起きています。

気づかないくらい小さな喪失もあれば、小さくても悲しい喪失もあります。

例えば、友達に「あなたの服装は変ね」といわれると気分が悪くなります。一時的にではあっても、相手に対する愛情や尊敬の気持ちを失うでしょう。大きくて強い喪失は、あなたの人生に大変衝撃になりますし、喪失感が長く続くこともあります。どんな喪失にも、心の痛みや、悲しみ、空虚感がついてきます。

しかし同時に、どんな喪失にも、何か新しいものをもたらす機会を運んできます。

喪失の経験はあなたに変化をもたらします。時間がたてば、次第に新しいことを考えたり、新しい活動が始まり、空虚感を埋めていきます。

10代は人生でもっとも幸せなときだと思っている大人もいます。

自分が10代の時にたくさんの変化や喪失を体験したことをすっかり忘れているからです。

10代のときは、ほとんどのことに予測がつかなくて、自分はまだ子どもだと思ったり、もう大人だと思ったりします。子ども時代が去っていき、大人へと向かう成長の過程そのものが喪失だともいえます。

アメリカの10代は他の国に比べて、喪失に対する心の準備ができていないという面があります。(しかし、このことはアメリカの子どもたちに限られることではなく、自己愛的万能感の強くなってきている現代の日本の子どもたちにも当てはまりつつあることかもしれません。)

どうしてかというと、アメリカには「人はハッピーエンドのおとぎ話のように、幸せに暮らさなくてはならない」という思い込みがあるからです。だから、

「何かを失うことなんかありえない。もし失うとしても、ずっと先のことだ」

と思っていたり、喪失は自分以外の人にしか起きないものだ、と信じていたりします。

喪失はきちんと受け止めれば成長をもたらします。大きな喪失でさえ、成長の助けになります。


次号では、大きな喪失が起こったときに実際にどんなことが心身に生じるのか、喪失を乗り越えるためにはどんなことができるのか、を紹介します。



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