学園日誌

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子どもと悪【1】

今号より、故河合隼雄先生の『子どもと悪』(岩波書店)をご紹介していきます。

今号より、故河合隼雄先生の『子どもと悪』(岩波書店)をご紹介していきます。 本書は、学園が研修会でお世話になっております小泉規実男先生(小泉心理相談室室長・臨床心理士)も強くお薦めで、教師を始め、子どもと関わる者には是非一読をして欲しいと思います。本書のカバーのために寄せられた、谷川俊太郎氏の詩を読むだけでも、現代の子どものある種の生きづらさを感じて、気持ちが揺さぶられます。



まんびきはしたことないけど

わたしはひとのこころをぬすんだ

ぬすんだことにもきづかずに


へやにかぎはかけないけど

わたしはこころにかぎをかける

かぎのありかもわからずに


うそはついていないけど

わたしはほほえんでだまっている

ほんとのきもちをだれにもいわずに


いいこだから  わたしはわるいこ


  本書は、7章から成っていますが、まず、「悪と創造」という章から始まります。河合先生は、「悪の問題を論じるのに、最初に「悪と創造」を論じるのは、思い切ったことのように感じられるかも知れない。しかし、現代における「子どもと悪」について考えると、まず最初に浮かんできたのは、このことである。現代日本の親が子どもの教育に熱心なのはいいが、何とかして「よい子」を作ろうとし、そのためには「悪の排除」をすればよいと単純に考える誤りを犯している人が多すぎる…そのような思いが強いので、どうしてもこのことを最初に論じることにした」と言い、現在日本で活躍している、極めて創造的な仕事をしていると感じる10人の人にインタビューをして、その方たちの子どもの頃について語っていただいたことを紹介していきます。(詳しくは、『あなたが子どもだったころ―心の原風景』講談社文庫+αをお読みください)そして、「現代の日本の親たちが望んでいる、いわゆる一流大学を卒業して、というようなイメージに合う人は一人もおられない」と指摘され、「しかし、考えてみると「学校教育」というものは、一般的に知っておくべきことを教えるのが目的なのだから、創造的な人とあまりかかわりがないのは当然かも知れない。谷川俊太郎さんと話をしていたとき、「大学へ行かなかったのでよかったと思われますか」と誰かが質問をすると、「そうとばかりは言い切れない」と答えられた。やはり大学へ行った方が、一般的な知識を能率よく広く取り入れることができてよかっただろうとのこと。ただ、ここで難しいのは、日本の学校教育が画一的で少しでも異質なものを排除しようとする力が強すぎるので、どうしても創造性の高い人はそこに入っていくことができない、という点である。これから、日本の教育も変わっていかなければならないが、ともかくここに挙げたような例から考えると、一流大学へ入学するのが「よい」とか、学校へ行かないのは「悪い」とかそれほど単純に決められないことがわかるだろう」 と続けられます。


  
そして、「創造性の高い人は自立的である。自分の考え、自分の判断などを踏まえて、しっかりと立つ力がある。と言っても、子どもは全て大人の保護の下に大きくなってくるのだから、自立に至るステップとして「反抗」が、まず生まれてくる」と、自立の契機としての「悪」の意味を示し、「大人が「悪」とみなしていることを敢てするのは、大人に対する一種の宣戦布告のようなものである。大人になって自分の子ども時代を振り返ってみると、自立の契機として何らかの意味で「悪」が関連していたことに気づく人は多いのではなかろうか。これはもちろん危険なことである。下手をすると、全くの悪の道への転落につながるだろう。しかし、危険のない意味あることなど、めったにないというべきだろう」 と。


  
また、「創造性は、想像によって支えられている。想像する力がないと創造はできない。もっとも想像といってもそのレベルが問題である。気軽に逃避的になされるときは、人格の表層が関わるだけである。ちょっと頭を働かせることによってできる。創造につながってくる想像は、もっと自分の存在全体と関わってくる。時には知的なコントロールによっては止めることができないほどに、想像の働きが自律性を持っているとさえ感じられる。想像の中には悪と関わってくることがある。子どものときに「悪い空想」を楽しんだ人は多いのではなかろうか。性に関するもの、お金を盗むこと、暴力をふるったりすること、怠けること、などなど。やはり、想像のレベルが深くなってくると、平素は抑圧している内容が関わってくるので、このようになるのだろう」とした上で、「こんなことを言って、無分別に悪を称揚しているのではない。悪はもちろん大変な破壊性を持っている」ともおっしゃり、「このようにいろいろな例を見てくると、「悪」と言うのが実に一筋縄では捉えられない難しいものであることがわかる。それは無い方がいいと簡単に言い切れないし、さりとて、あるほどよいなどとも言っておられない。 それは思いの他に二面性や逆説性を持っている」と結びます。


  
それでは「悪」ってなんなんだろう、と興味がわいてきたのではないでしょうか。 次号では、悪とは何か、そして子どもの悪の体験に対して、大人はどうすればよいのか、を見ていきたいと思います。



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