学園日誌

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河合隼雄の?こころ?-3

  引き続き、『河合隼雄の?こころ? 教えることは寄り添うこと』(小学館)をご紹介します。


  お待たせ?の「テレビゲーム」「基本的生活習慣」「家庭学習」について見ていきたいと思います。

「テレビゲーム」は今の時代、子どもの遊びのひとつとして避けて通ることができない道具として、我が物顔に生活の中に登場してきます。

「基本的生活習慣」は、家庭において自然な営みのようでありますが、それゆえにいったんままならなくなると、さて、どこから手をつけてよいものかと、途方にくれることにもなり得る問題となってしまいます。


  そして、「家庭学習」は、親が子どもに自主的に取り組むことを望んで止まない、ムツカシイことはわかっちゃいるけどなかなか諦めることができない、

そしてまた、親と子の関係をある意味端的に表している、深遠なテーマです。


 


?テレビゲーム?


  昔から子どもが夢中になる遊びが、そのときそのときに流行し、親や教師は「そんなことに夢中にならずに、勉強しなさい」と言い続けてきたものだ。

子どもは親の顔色を窺ったり、遊びに夢中になったりして成人し、今の大人を見てもわかるとおり、それほど心配なこともなく、結構ちゃんと大人になっている、と言える。このような意味で、今、子どもたちが夢中になっているテレビゲームも似たようなもので、さほど心配いらないよ、と言いたいのだが、やはり、それ以上に少し考えなければならないことがあるようだ。

まず何といっても、子どもにとってテレビゲームの魅力が大きいことである。実に知恵を絞って、子どもの興味を引き込むように作ってある。したがって、テレビゲームの時間を制御するにしろ、あるいは、テレビゲームより魅力のあることを提供するにしろ、大人はよほどしっかり心を決めてかからないと負けてしまう、ということである。

  次に、これは大切なことだが、テレビゲームに熱中していると、まったく人間関係のない、自分ひとりの世界にはまり込んでしまう、ということである。もちろん、ゲームの中ではいろいろと人間関係も出てくる。
しかし、根本的には自分というひとりの人間が「全てを支配している」というところに、大きい問題が生じてくるのだ…ゲームなどということを知る以前に、例えば、家族の間で、家族の間の人間関係の味わいをよく体験しておくことによって、テレビゲームにのみ溺れこんでしまう愚を避けることができるであろう。


  


?基本的生活習慣?


  この「基本的生活習慣」を身につけさせるのは、本来、家庭の責任である。赤ちゃんも母親や父親に育ててもらいながら、その人たちから言われる習慣を身につけるように努力する。「しつけ」は大切だが、しつけをする者としつけをされる者との間に人間関係がしっかりとしているほど、しつけはなされやすいことを忘れてはならない。

子どもとの人間関係のない者が、例えば、子どもを叱ったり怒ったりして「しつけ」をすると、子どもは恐ろしいので「しつけ」に従うかもしれないが、おどおどとしたり、ひとりになったときはまるで勝手なことをしたりする。「しつけ」が身についたものにならないのである。

「基本的生活習慣の育成は、家庭において行うべきである」という根本は、いくら強調しても、し足りないくらいである。

ところが、実際問題として、基本的生活習慣をあまり身につけないままで、学校に来る子どもが以前より増えてきた。このときに、それは家庭でやることだから学校は知りませんよ、と知らぬふりをしてばかりいられないところに、「教育」ということの難しさがある。

やはり、子どもたちのことを考えると、役に立つことはしなければならないと思う…


  


?家庭学習?


  家庭学習は非常に大切なことである。

これは単に学習をするということのみならず、家庭内におけるしつけにも関連してくるので、その大切さは極めて大である。

日本の中学生の中には、ゲームなどに熱中してしまって、家庭学習ゼロというのもあるようだが、これはまったく駄目である。そんなことを言っても、最近の中学生は親の言うことなど聞かない、とのことだが、中学生になってから、急にしつけを始めてもうまくいかないのは当然である。

このためには、小学校1年生のときから、家庭学習をきちんとするという習慣を身につけさせることが大切である。何事も習慣として身につけると、それをしないと気持ちが悪いくらいになる。

このように生活に節目、リズムをつけることは、人生全般を見ても非常に重要なことであり、このことを小学1年生のときから身につけるようにしなくてはならない。

子どもにこのような習慣をつけさせる根本は、親の生きている姿勢である。親が節目も何もない生活をしていて、子どもにしつけをしようとしても無理である。

自分は自由業なので、そんな時間に縛られた生活はできないとか、夫婦が共に働いていて疲れて帰ってくるので、家の中でそんなにがっちりした生活はできない、と言う人があるかもしれない。これに関しては、子どもというのは「本質」を直感的につかむ力があるので、大丈夫と言いたい。

時間にルーズにしていたり、家庭では少しぐらいのんびりやっていても、親の生活に「筋が通っている」かどうかは、子どもに案外伝わるものなのだ。これが子どもの有難いところである。

親は、親なりに筋を通して生きている。子どもの筋を通した生き方には、家庭学習が不可欠だ、というような、しっかりとした姿勢がなくてはならない…家庭学習の時間も、小学生の高学年、中学生と進むにつれて長くなるのは当然である。

中学生になると学習時間も長くなる反面、見たいテレビや遊びたいゲームも増えてくる。これらの折り合いを上手につけること自体が、人生における広い意味での「学習」である。

このことについて親も共に話し合ったり、筋を通したりするためには、何と言っても小学校1年のときからの習慣づけが基礎となる、と言っていいであろう。

最近は、塾に行かせたり、家庭教師を雇うことが盛んになった。各家庭の経済力が上がってきたことも、その一因であると思われる。

ここで困るのは、塾や家庭教師に、子どもの教育を「まる投げ」にしてしまって、「親は我関せず」というような姿勢になることである。お金を出すことで万事解決、と思ってしまうのだ。

子どもが一番いやがるのは、親がお金だけ使って、心を遣わないということだということを、よく知っていなくてならない。


  



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