今号は、倉本聰著 『左岸より』 (理論社)をご紹介します。
学園長のオススメ・エッセイです!
あなたは、どのような体験や人とのかかわりを、心から満足できる、という意味で、贅沢してるわぁ、と感じますか?
本著は、倉本氏が感じる「贅沢」が散りばめられたエッセイでした。共感できる箇所もあれば、私は違うなと感じる箇所もあることでしょう。
今回は、倉本氏の体験描写をきっかけに、私とは、あるいは私の大切な人たちは、人とのかかわりにおいて何をどのように感じる人なのか、そして、こんな関係のつくり方、味わい方があるんだな、と思いをめぐらせる一助になればと思います。
「もてなし」
… もてなしということについて時々考える …
あるとき地元の青年たちが講演を開くことになって、さてそのお呼びした講師の方たちをいかにもてなすか議論になった。
即ち講演が終わった後でいかなる宴席を用意するかについてである。
宴会など止めるべきだと僕は言った。
そんなわけにはいかないと彼らが言った。
いや、先生方は講演の後できっと体力を消耗しておられる。
そこへまた初対面のがさつな者共が気の張る宴席など強要したら多分うんざりなさるにちがいない。
もちろん中には土地の食い物を愉しみにして来られる先生方もおられるだろうから、先方の意見をあくまでおききして、それによって自由に臨機応変に接待の方法を考えたらいい。
あらかじめ儀礼的公式的な宴席などは用意すべきでない。そう言ったら一人が憤然と反論した。
そうはいかない。我々の面子もある。
我々の面子 ――― 。
さてここから話が狂ってくる。
本来相手を慰撫する為の、相手への為のもてなしのはずなのに、そこへ自らの事情が入ってくる…。
「もてなし?U」
… 五年がかりで映画を創った …
それにしても応対は類似しすぎていた…
したがって僕らも次第にあきらめ、絶望と退屈と疲労の中で同じ答を機械のように繰り返す破目になって来たのだった…
コピーされたような同一の質問に連日連夜撃たれつづけて正直身も心も疲れ果ててしまった。
彼らは如何なるよろこびの中で番組を作っているのだろうかと、老婆心のような余計な想いが心の底に滓のようにたまった。
そうして最終日、金沢へ来たのだった…
「カナモリと申します」…
「お疲れのところ早速ですが、スタジオの方へ」
そのひとの案内でいったんビルを出るとすぐ裏手へと案内された。
驚いたことにそこは苔むした日本庭園で山裾の奥深く続いている。女性について踏石を歩いた。
しんとした庭園に雨が降っている。その庭園の中に古い武家屋敷のような建物があった。
「ここがスタジオでございます。どうぞ」
「 ――― 」
広い縁先から中へ上がると開け放たれたいくつもの日本間。
その一室に座布団が二つ敷いてある。座ると目の前の静かな庭園に激しい雨がたたきつけられている。
突然誘われた異次元の世界で、僕はぼんやり庭を見ていた。
気がつくと僕と少女(映画のヒロイン)の前の、畳の上に茶とマイクがある。部屋の片隅のトランジスタラジオから小さく音が流れていた。
「只今この曲が三分程で終わりますと短いCMがございます。その後ピアノ曲が入りますので、その曲が出ましたら十五分程。長くなっても、短くなっても結構でございます。 どうか御自由に御時間をお使い下さいませ」
「エ!?これ生ですか!?」
「ハイ。只今放送中でございます。どうかよろしく」
カナモリさんは一礼すると部屋の隅っこの方にひっこんでしまった。
S氏があわてて彼女に何か言おうとした。 僕は反射的にS氏を制した。
後もう三分!ナマ放送。
何か真剣を突きつけられた気がした。
奇妙にみずみずしい感情がつき上げ、見知らぬ旅人に十五分という時間を、雨の庭園で馳走して下すったベテランプロデューサーの心意気を思った。
うまいおしゃべりはできるわけないが、裸になって真情をしゃべろう。少女に合図しマイクを手に取った。
雨の音の中でCMが終る。
ピアノが静かに流れ始めた。
スタジオからの生演奏らしかった。「白い恋人たち」 。僕の映画のテーマ曲である。
ひどく熱いものが胸にこみ上げた。
その他にも、話されることは最後の最後まで聞かないと、その人らしさや真意は実感できないという「言葉」や、これから寒く厳しい冬が来るからこそ、そのナマの自然の中に我が身を曝してみたいと、つい夢想してしまうような北海道への招待を綴った「北からの手紙」など、一読を、是非。
決定的に対立しながら、また不可分に絡み合いながら、同じうねり蠢きの中で生まれては生きてそして死んでいく、そんな私たちの「生」を倉本氏は愛おしんでいる。