学園日誌

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発達障害の子どもたち

  今号は、子どもの自立と幸福を願ってやまぬ学園として、今年を振り返る意味も込めて、杉山登志朗先生が書かれた『発達障害の子どもたち』(講談社現代新書)をご紹介したい。


 


  本書には、子どもが発達障害であろうともなかろうとも、子どものこれからの長い人生にとって、一般的な価値観や期待をひとまず取っ払った上で、今、本当に子どもに何がどのように大切かと、真摯に対峙することが求められている、という姿勢が貫かれている。

また、発達障害という問題が、案外身近な問題であるということは、高機能広汎性発達障害の羅病率が1?2%を占めるということ、そして、ある不登校外来における生徒の5割に何らかの発達障害が認められた、という資料が物語っており、自らに引き寄せて考えていかなければならない視点であるとも、教えてくれる。


  本書では「発達障害」を、「発達障害とは、子どもの発達の途上においてなんらかの理由により、発達の特定の領域に、社会的な適応上の問題を引き起こす可能性がある凹凸を生じたもの」と定義する。

加えて、筆者は、できれは全て○○障害ではなく、○○失調と書きたいところだ、とも言う。

そして、「子どもは発達をしていく存在であり、発達障害の子どもたちも当然、日々発達をしていく。その過程で凹凸や失調は全体としては改善をしてゆくのが普通である。むしろ改善をしていかなければ何かおかしなことが起きたと考えるべきであり、二次的な問題の派生を疑う必要がある。

そして成長して大人になったときに、子どもの頃に発達障害を持っていたとしても、生活をしてゆく上で、支障になるようなハンディキャップを持ち続けているとは限らない。生来の素因を持って生じた発達障害に対して、さまざまなサポートや教育を行い、健全な育ちを支えることによって、社会的な適応障害を防ぎ、障害ではなくなるところに、発達障害の治療や教育の目的がある。

子どもを正常か異常かという二群訳を行い、発達障害を持つ児童は異常と考えるのは今や完全な誤りである。発達障害とは、個別の配慮を必要とするか否かという判断において、個別の配慮をしたほうがより良い発達が期待できるのである」と。


  偏見は、誤った知識から生じる。本書は、発達障害に対する誤った知識を減らし、どのようにすれば発達障害を抱える子どもたちがより幸福に過ごすことができるようになるのか、正しい知識を紹介する目的で書かれているので、まず、発達障害について世間に広がる誤解を紹介することから始まる。



・発達障害は、一生治らないし、治療方法はない。

・発達障害児も普通の教育を受ける方が幸福であり、また発達にもよい影響がある。

・通常学級から特殊学級(特別支援教室)に変わることはできるが、その逆はできない。

・通常学級の中で周りの子どもたちから助けられながら生活をすることは、本人にもよい影響がある。

・発達障害児が不登校になったときは一般の不登校と同じに扱い登校刺激はしないほうが良い。

・養護学校卒業というキャリアは、就労に際しては著しく不利に働く。

・通常の高校や大学に進学ができれば成人後の社会生活はより良好になる。

・発達障害は病気だから、医療機関に行かないと治療できない。

・病院に行き、言語療法、作業療法を受けることは発達を非常に促進する。

・なるべく早く集団に入れて普通の子どもに接する方がよく発達する。

・偏食で死ぬ人はいないから偏食は特に強制をしなくて良い。


これらは全て、著者の目から見たときには誤っているか、あるいは条件付でのみ正しい見解であって、一般的にはとても正しいとは言えない、と主張される。

そして、おのおのについて、なぜこれが間違っているのか、と驚かれたとしたら、そして発達障害と診断を受けたお子さんに関わっているとしたら、この本はあなたにとって読む価値のある本である、と。


  また、子どもの「自立」の具体的な姿を描いているところが、リアリティをもって、かつより誤まらずに、私たちを導いてくれる。「わが子の自立した姿」を親がどのように描くか、それはとりもなおさずわが子に期待する姿であるので、それ如何でもあるが、ここで一度わが子の「自立」した姿を各自描いてみてはどうだろうか。

著者は、「そだちの終着点とはどこにあるのだろうか。自立にあることは疑いないであろう。では、自立とはどのような状態であろうか。古来、自立について様々なことが言われてきた。自分の家族を新たに持つことであるとか、仕事を得て経済的に自立していることであるとか、心理的にひとりで生活ができることであるとか。筆者としてはここは単純に、次の三つを自立の目標としたい。



  1. 自分で生活できる。

  2. 人に迷惑かけない。

  3. 人の役に立つ。


こうして単純化させてみると、仕事を得て、タックスペイヤーになり、さらに社会的なルールを守ることができていれば、自立という課題ができていれば、自立という課題は達成できたということになる」とする。


  そんな筆者が、もうひとつ強調したいことがある、という。

「これは誰も指摘していないことであるが、丹念に自閉症の自伝を読めば、その認知の特異性にもかかわらず、感情の持ち方は健常者と同じであることに気づく。基本的な感情は同一である。人に褒められればうれしいし、叱られれば悲しい。ゲームに勝てば嬉しい、負ければ悔しい。「火星人の人類学者」に自らを喩えるグランディンにしても、それからドナ・ウィリアムズ(彼女たちの自伝を一冊でも手にとって読んでいただきたい)にしても、心の動きに関しては、取り込み、昇華、合理化などいわゆる防衛機制などの普通の心理学できちんと説明ができる。

つまり。彼らは、異文化ではあっても異星人ではないということである」と。


  このように、発達障害の子どもたちを理解するには、やはり、その独特で個性的な世界への接近方法には工夫と忍耐がいるが、しかし、基本的なところは皆同じなんだ、共に在り、分かり合えるのだ、という大前提を何より大切にしていきたいと思う。


 



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