学園日誌

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学園日誌

さびしさの授業

  今年改まり、最初に紹介するのは、伏見憲明著『さびしさの授業』(理論社)です。

「寄り道は、ハッピーに生きるための近道」をコンセプトとした「よりみちパン!セ」という若者に向けた新書シリーズの一冊です。


 


  本書は、〈きみはこの世界なしには生きられないが、世界は、きみがいようがいまいが関係なく存在し続ける。その気づきが、きみとこの世界のかかわりの出発点であり、生きることの第一歩だ 〉と始まります。

著者は、小学6年生のときに無視といういじめに合います。「おまえ、生意気だから、みんなで無視することにした」その一言でそれは始まりました。

しかし、この集団でのいじめは一週間も経つといつの間にか止んでいました。すべてはもと通り…。しかし、と著者は続けます。しかし、ぼくの心の中の風景は一変してしまいました、と。


〈それまでは、自分を取り巻く世界に、「おまえはいらない」と拒絶されることなど思いもよらず、友だちとのケンカなどで落ち込むことはあっても、この世界自体に違和感を感じることなどなかったはずです。

それが、世界は、いつ自分に牙をむいてくるのかわからない「力」として目の前に立ち現れてきたのです…以来、ぼくと世界の間に生じた亀裂は修復するでもなく、ざっくりとその傷口を開けたままになっています。それは時の流れとともに、幼いころの懐かしい思い出になることもなく、当時と同じ痛みを持ったまま、胸の中でヒリヒリとぼくを刺激しているのです。 そして、その感覚こそが、この世界に存在しているぼく自身の輪郭を形作っているような気もします。

ぼくらはときに、「私」が「私」であることによって、この世界に受け入れてもらえないことがあります。

「私」が「私」を含んでいない世界に背を向けられることは珍しくないのです。

いや、「私」であるということ自体、この世界とは完全には調和せず、そこからはみ出していることなのかもしれません。

「私」は世界と切り離されてはいませんが、世界に対してコブのようなものであるともいえます。

「私」がいなくとも世界は当たり前のように回っていくし、何も問題を生じません。

しかし悲しいことに「私」はそうした世界の中でしか生きられない。

それは、ぼくがいなくてもクラスは成り立っているのに、ぼく自身は、そこで認められないでは存在しないのと同様です。

そういうふうに、世界と「私」がイコールで結ばれないからこそ、ぼくらはこの世界を、自分とは異なるものとして外から眺めざるを得ないし、それをなんとか自分に都合のよいものに変えようと働きかけるのでしょう。

その「私」と世界の裂け目にどんな橋を架けることができるのか。

それこそが、ぼくらが生きていく上での大きなテーマだといえるでしょう。

人間は、世界なしには生きていくことができません。

そう、「私」は絶対に世界とつながらなくてはならない。

「私」として生きざるを得ないけれど、世界はけっして「私」の一部にはならない。これが真実です。

そして「私」であることを、いかにしてこの世界の中に位置づけていくのかは、簡単なことのようでとても難しいことなのです。 なぜならば、世界が「私」を受け入れてくれるかどうかの保障はどこにもないのだから…あるいは、世界が「私」に席を用意していたとしても、「私」がそれに満足しないことだってあるでしょう。

そんなわけで、私たちは、この世界に何とかして自分の「生きられる場」を作りだそうとするのです。

またそれこそが「生きる」ということの「意味」にもなるのです 〉


  「居場所」という言葉がクローズアップされた時がありました。

今もなお、いや、さらに切実に求められているものかもしれません。

しかし、著者にとっては、「居場所」は 「生きられる場」と同義語のようです。自らが作り出すことで始めて生まれる、場所という意味で。


〈…これからぼくらは、この本を通じて、どうやったらあなたが、そしてぼくが、「生きられる場」 を見つけていくことができるのかを、さまざまな登場人物たちの生き方から探っていくことになります。

彼、彼女たちの必死な「生」の経験の中に、あなたがこれからサバイバルして、つまり生き残っていく上でのヒントをつかんでいただければ、これ以上の喜びはありません 〉


とうたう本書は、「ゆっくりと信じて待つこと」「たった一つのプライドを守れ」「仲間とつながること」 「「ふつう」であることのむずかしさ」と、サバイバルの知恵を紹介しています。

〈 …それでは一緒に、この世界において「生きられる場」を探し出すたびに出ることにしましょう 〉

私たちの学園においても、子どもたち一人ひとりが、「生きられるは場所」、笑顔で、満足して、納得して生きることのできる場所を、見出したり、時には作り出したりと、手を携えてともに探していくことに、今年も引き続き精進していく所存です。


 



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