学園日誌

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みんなのなやみ


今号は、重松清著『みんなのなやみ』(理論社)を紹介します。10代の悩みや疑問に、直木賞作家の重松清さんが「正解」以上に豊かな「こんな考え方」で答えてくれる、心強い相談室のような著書です。


 


 では、その中から、紹介させていただきますね。


質問:「がんばる意味」


まじめに悪いことをせず、勉強しろとよく言われるけれど、不安定なこの時代、本当にそうしたからって幸せになれるんでしょうか?一生懸命がんばって意味はあるんですか?(中2・A子さん)


回答:あえて言います。がんばることそれ自体に「意味はある」と。


とても大きな問いかけです。いま、この問いかけに対して、大人が「こうなんだ」と答えを言いきることができない時代なんだ。とっても悲しくて、残念なことなんだけど、でも、それが現実だから、せいいっぱい答えようと思います。


まずね、「一生懸命がんばれば、良いことがある」というのが、ひと昔前の大前提だったの。将来良いことがあるから、今の何かを引き替えにするというのが、定番の考え方だったのです。ところが今では、受験勉強のためにすべてを犠牲にして、良い学校に入った、良い会社に就職もした、でも、二十年たったらリストラされちゃったということになっている。A子さんだけじゃなくて、僕たち大人の世代も、「これだけがんばってきたことに、果たして、意味なんてあったんだろうか」という疑問をもっているんだ。きみの質問にあった「一生懸命頑張って意味はあるんですか?」というフレーズはぼくにとってもすごくリアルに感じることなんです。でもね、リアルだけど、この発想はやめた方がいいかもしれない。このフレーズは、本当は、「一生懸命がんばることに意味はあるんですか?」にしなければいけないんだ、と思うのです。がんばることそれ自体に、意味があるのかどうかを考える、というふうに。あなたからそう質問されたら、ぼくは「意味がある」と答えたい。べつに「そういう経験をしたら、これだけ得です」なんていうつもりはない。そんな意味なんてないけど、人間としての足腰が鍛えられることだと思うの。子ども時代に、がんばったり、何かに夢中になったりする経験をしておかないで成長してしまうと、けっこうモロい大人になってしまう気がするのです。がんばらなきゃいけないときにがんばれなかったり、もっと怖いのが、がんばり方が分からない、どうがんばったらいいのか分からない、というふうになってしまう。そうなると、大人になってからが、すごくキツい人生になってしまうと思うんだ。会社への就職の際に、体育会系の運動部の学生や生徒が優遇される話をよく聞きます。これは、上下関係や礼儀ができているとか、スタミナがあるから優遇されるのではないんだ。まず、運動部だと、練習をする。練習というのは、目の前の試合のためだけの行為ではなくて、「どうして自分はこんなに走っているんだろう」ということを体ごとで考える、という経験なんだ。その経験のある人間を会社は使いたい、ということなんだよね。もっと言ってしまうと「負けを知る」ということがある。つらいことではあるけれども、このことは知っておいたほうがいい。いざ大人になってから初めて負けちゃうと、ショックが大きいんだ。一生懸命がんばることには意味があって、その「意味」には、これだけお金が儲けられるとか、こんなに得だという説明は示せないけれども、必ず、きみを人間として、丈夫な人にしてくれると思うんだ。


 それからもうひとつ。これは大人に言いたいことだし、子どもたちには謝らなくてはいけないことでもある。まじめに悪いことをせず、勉強する子どもがいる。はっきり言えば「平凡な子ども」のことだ。平凡に生きている子どもを幸せにできないような社会や時代にしてしまった大人というのは、やっぱりダメなんだ。コツコツやっている子どもの居場所がちゃんとある。僕らはそういう社会にしなくちゃならない。「かんばれ」とい言葉は、今、よくない言葉みたいに言われてしまうけれども、でも、ぼくは言い続ける。「がんばれ」って。ただし、ゆっくりでいい。ゆっくりがんばって、今のうちにたくさん「負け」を知って、その悔しさとそこから立ち直るきっかけのストックをたくさん持って、しぶとくタフな大人になってください。


 


このテーマのほかにも、「どうしようもない感情」「離婚したお母さんへ」「付き合うって、どういうこと?」といった家族や学校のなかで誰もが感じる疑問から、人には言えない深刻な相談まで、絶対的な正解は出せないけど、少しでも楽になってほしいと、重松さんが、真剣に回答をしてくれています。親子でぜひ読んでもらいたい一冊です。



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