学園日誌

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みんなのなやみ2


今号は、重松清著『みんなのなやみ2』(理論社)をご紹介します。第二弾では、「五章 親だってなやんでいる」と、親のなやみにも答えてくれています。


 


それでは、まず、一章の「自分」のこと、から。「まわりの目が気になる…」というなやみを取り上げたいと思います。同じようななやみをもっている子どもさんや、同じようななやみを子どもから相談された親御さんも多くおられるのではないでしょうか。


相談:私はまわりの目が気になることが多い方です。授業中も、ひそひそ話をしているのが聞こえてくると、自分が言われているんじゃないかとビクビクしてしまいます。また、自分がどう思われているのか気になって、堂々としていられません。このままでは、受験の時のマイナスイメージに取られてしまうんじゃないかと心配です。直すためにはどうしたらよいでしょうか。(14歳、中3、Fさん)



重松さんから:思春期だからこそ、気になってしまうことがある


これは、大なり小なり、みんなが持っているなやみです。おとなになっている僕にだって、こういう意識や気持ちがあります。


「思春期」という言葉があります。いったいこれは何だろうか。もしこの言葉を定義するとしたら、どう言えばいいだろうかとよく考えるのだけど、自分が周りから見られる存在であることを意識し始めるのが「思春期」なんじゃないかと、ぼくは思っています。中学生なんかではなくて、もっと幼い子どもであれば、「自分」というのは他人も含めた「周り」を見るだけの存在です。相手から自分がどう見られるているのかわからないし気にしない、ただ自分は見る一方の在り方をしている。その段階から、今度は、「自分だって相手に見られているのかも」ということを意識しはじめるのが思春期なんだ。自分のルックスがどんどん気になってきたり、ファッションやお化粧という外見の装いに興味がわいてきたり、そんな自分を「みんなはどう見ているのかな…」と不安にもなる。コンプレックスや自己嫌悪の感情が生まれてくるのも、みんなこの思春期からだよね。


 他人から見られていることは、プレッシャーです。常に意識して、気が抜けない。だからきつい。でもこの「きつさ」は、思春期には必ず、誰にでもついてまわる感情だから、逃げることはできないんだ。「自分が人からどう思われようと関係ないもん」という態度はたしかに堂々としているし、すごくかっこいいかもしれない。でも、その「かっこよさ」は一歩間違えれば傍若無人、他人に対する無神経さに簡単につながってしまう場合がある。


 いいんじゃないかな―――ビクビクしていたって。堂堂とすることはかっこいいけど、それよりも、ビクビクしながら必死になって考えていることの方が大切だ。それは直さなければならない弱点だけではなくて、きっと、きみのいいところも形づくっているのだと思います。Fさんの気持ちは、周りへのある種の気区切りから生じている部分があると思います。「ひとの気持ちを大切にできる」ならば、受験の面接でもアピールできるポイントじゃないかな。そう思わない?


 


 いかがでしょうか。こんなふうに答えてもらうことができたら、こうやって考えることもできるんだな、すぐに楽になるわけじゃないかもしれないけど、相談してみてよかったな、と安堵するような気がます。そして、自分で考えて、自分で迷って、自分で落ち込んだ末に、なやんでいる自分、そんな自分でもいいんじゃないかな、とゆっくりと自然に思えるようになっていくのではないかなと思いました。


 


 次号では、「五章 親だってなやんでいる」から「自分の子どもを守りたい」と、中1の娘がいじめにあっているかもしれない、親御さんからの相談をご紹介したいと思います。いじめの問題に限らず、「自分の子どもを守りたい」と思ったときに、どんな配慮が本当に子どもを助けることになるのか、といったことを考えさせてくれます。





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