学園日誌

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子供はぜーんぶわかってる3

 学校法人西濃学園中学校が悲願の開校という、大きく新たなる門出の一歩を踏み出しました。この年度始めの一冊として、吉本隆明著『子供はぜーんぶわかってる 超「教師論」・超「子供論」』(批評社)をご紹介します。


 本著は2部の構成から成り立っており、第1部が「教師の仕事をめぐって」ということで超「教師論」を、第2部が「学童期の子供をめぐって」 ということで超「子供論」を、それぞれ担っています。そこで、学園便りでは二回に分けて、本著をご紹介していきます。


今号は、超「教師論」の部分をご紹介するわけですが、吉本氏にとって、超教師とは、学校とか生徒とか制度ということとは関係なく、個々の先生として学童と正面から向き合えるというやり方はどうやったらできるのか、という根本的な関係の在り方に回帰できる先生だ、といえるようです。


 


・どうやったら学童に完全に向き合えるかという問題は先生方には残る


・人間は総合的にはまず何の隔たりもない、これは自然家庭の大原則


・黙っていても学童は先生がどんな人間かちゃんとわかっている


 


〈…黙っていても学童の方はちゃんとわかっているのです。 知識の部分はわからないかもしれないけれども、この先生はどれだけ勉強をしていてどういうことを考えていてどんなことを蓄積しているとか、そういうことはわかっていると考えるほうがいいのではないかと思います…確かに知識や倫理は受け取るものと与えるものとの区別はありますが、「人間力」 からみれば学童というのは、大人と同じ程度の理解力とはいえないけれどもそれをちゃんと持っているというふうに考えた方がいいという原則になってきますね…



・教師の影響力への過大評価がある、「我が計らいにあらず」でいいのではないか


〈…「先生のおかげで勉強に取り組むようになりました」とか、「まじめに学校に通うようになりました」などと親から感謝されたりします。また、中学校ならどこそこの高校に合格させたとか、限定的な範囲で評価されます。同僚の評価(まなざし)もありますが、管理職が成果主義的な人事評価をするようになっています。 教師自身も影響力といいますか、教育力を誇示したくなったりします。子どもの成長とか変容は自然過程です… 子供との関係性では、良かれ悪しかれ「我が計らいにあらず」 ということでいいのではないか。つまり、教育というのは「我が計らいにあらず」でいいのではないかと思うのですが、教育の力というのは偉大なのだよ、教師の影響力というのは大きいんだということをマスコミなどもしきりに宣伝するわけです。知識的な部分でも道徳とか倫理的なものでも。僕はそれは過大に評価しすぎているのではないかと思うのです…〉


 


・どうして教師の真面目気分は子供の遊び気分をみえなくしちゃうのだろうか


・「制度としての教師」を外すなら、子供とは遊ぶときに付き合う以外にないよ


・子供の良いも悪いも全部飲み込んでくれている先生がいる、これは制度ではない


  


〈…とにかくこの(学習塾の)先生は僕のことを全部飲み込んでくれていたなという感じがありまして、今でも影響力が鮮やかに残っている感じがします。学校の先生とは場面も違うし比較しても次元が違うわけですけれども、影響力の残り方が違うという感じだったのですね。ですけど、先生方も「制度としての教師」 という「制度として」というのを外してみたらたぶん学童の方はあらゆる面での影響を受け取って出て行くだろうなと僕は思います。学校は「制度」 ですから、遠慮や近寄れないことがありますが、学習塾というのは僕の場合、非常に優良だったというか、生涯にわたって有効だったなという印象があります。そのことは塾の先生が特別な人だったというよりも、その学習塾では先生が学童のことを全部飲み込んでいてくれて、遊びだろうが何だろうが付き合ってくれる、そういうことができたということが重要だったと思います…遊びまで付き合ってくれて、距離感がうんと縮まったり広がったり、そういうのも割合自由にできたから…〉


 


・自分の考え方を自分のために伸ばして行くことは、同時に学童のためにもなる


〈…テレビで何度か放映されていましたけれども、一つは音楽の授業で、ジャズシンガーの綾戸智絵が自分の出身中学で音楽の授業をやっているのを見たことがあります。僕はものすごく面白かったですね。自分の歌もうまいし歌わせ方も良く知っていますから教え方もうまい。アッと驚きました。もう一つは、東北大学で定年退職した電気工学の専門の人がやはり出身中学校で自分のやってきたことをぽっちゃらぽっちゃらお喋りしていて、聴く方は面白い話だから夢中になって聴いている、そういう実験授業をテレビで見たことがありますね。自分が生徒だった実感から言ってもそういうふうに教えてくれたら、僕は早くから自分は何が好きだから何をやってみたいというのが決まってくるような気がするのです…こういうことは「制度の中の学校」 ではちょっと無理だろうな…〉


 


必ずしも、吉本氏の教師論が絶対的に正しく、踏襲しなければならないというわけで紹介したのではありません。しかしながら、自らに向けて教育意識を問い続ける教師として在りたい、という思いを刺激してくれる投げかけに満ちている教師論です。そして、これまでのいわゆる一般的な学校と大きく違うと胸を張れることとして、これまでの子どもたちの理解やかかわりを通して得た経験から、「学校法人」という「制度」の中においても、制度を超えて、吉本氏が描いた教師、そして授業を可能にできるという自負を持って、私たちは出発することができます。 また、私たちは、自らに問うと同時に、国に地域に家族に対して、教育を問い、共につくり上げていこうという意気込みをもって、未知の大海へと勇気を持って力強く漕ぎ出していきます。



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