学園日誌

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不登校の解放 家族のシステムとは何か(3)

今号も、引き続き、『不登校の解法 家族システムとは何か』(文春新書 団士郎著)を紹介します。
情緒が育くまれるのに大きな存在となりうる「ペット」と、相反して、計り知れない傷跡を残してまう「いじめ」というテーマを見ていきます。

ペット

現代において、家族を考える際に欠かせないのが「ペット」の存在です。
…新しいメンバーの加入によってチーム全体が影響を受けるのは、スポーツではよく見られる現象です。
昨年までふるわなかった球団が一人の新加入者によって大きく変わって優勝争いをする、プロ野球ではありそうなことです。

家族にも同様なことが起こります。ペットではありませんが、子どもが生まれるのが一番顕著な変化要因でしょう。
もっともその変化は振り返った時に初めて気がつくことで、そんなことを期待して子どもを産んだりするわけではありません。
いやいや、関係の転機を期待して子どもを産んだと語る母親に会ったこともあります。
とくに意識せず飼いはじめた動物が、やがて居なくてはならない家族の一員になります。
だから死んだりしたときには大変です。
犬は好きだけれども死んだときがたまらないから、二度と飼わないというひともいます。

家畜は利用目的があって飼育されますが、ペットはそうではないといいます。
しかし家族とペットのことを考えると、本当はかなり大きな精神的意味を担って、家族に迎えられている面があるように思います…

「いじめ」る・られる

…いじめがない社会や学校を夢想する楽天主義には同意できません。
そんなものを到達目標のように語る人に限って、なんら具体的ことには手を付けず、
言葉だけで済ませてしまおうとする気配を感じるからです。
でも、いじめをなくそうと声を上げ、その努力をすることに意味がないと思っているわけではありません。
時代のエピソードはいつも、何かの必然的な動機を持って姿を現しているものです。

そういう意味で『いじめる?いじめられる』の問題が私たちに見せているのも、単純な一過性の子ども社会の現象などではないと思います。
いじめの経過を聞かされるといつも、私の心の中で反応するところがあります。
それは、いじめられている当人が、自分が被害者であるにもかかわらずそれを恥ずかしいと思い、
他の人、特に親に知られまいとしている点です。心の奥底では助けてと叫んでいるにも関わらずです。

世の中には理不尽なことがたくさんあります。
このように被害者であるのに、それを恥じる心の動きを学ばせる、マスコミをはじめとした世論もそのひとつでしょう。
自分にも落ち度があったのだとか、いくじなし、弱虫と言われるような気がするのでしょう。
それゆえに彼らは内にこもったり、意地になったりしていきます。
何があっても学校は休まないぞとか、誰の世話にもならないというわけです。
でもこの決意はどんどん彼らを孤独にさせていきます。
助けて欲しいと思いながら、何でもないふうを装うことで、負けない、負けない……と孤立の道を進んでいくのです。
助けてほしい!と叫ぶことがこんなに難しいことだとは、傍観者は理解できません。
後になって人々は、一言いってくれれば良かったのに……などと語るのです。
あまりに平安を願いすぎる世間の心情が、思いがけない目にあっている人が助けを求めて告白する勇気を鈍らせているのではないかと思います。

現実には様々なことが起きています。
それにもかかわらず他人に助けを求めづらくしてしまった人間関係の中で、心細く、
ひたすら何事もないように祈りながらみんなが暮らしている。
それをいじめ現象があぶり出しているのだと考えると、これは現在の私たちが共通に抱える問題だと言えるのではないでしょうか…


4号にわたり、システムという観点から家族を見てきました。
…ある小説の中に、こんな話が出てきます。
困り事を抱えた人たちのためのTEL相談の話です。
この相談は不思議なことにランダムにつながるテープ録音のサービスなのです。
心配事を抱えた人はダイヤルしますが、自身の問題を語ることはありません。
黙って、たまたま流れてくる三分ばかりの話に耳を傾けるのです。それはこんなことと似ています。
どうにもならないと思い詰めたあなたが深夜、海に向かって車を走らせています。
誰に言っても分かってもらえない、そんな孤立感が心の中で大きく広がります。
夜中じゅう走り続けてたどり着いた海岸で、水平線の向こうから朝日が昇るのを目にします。

孤独に夜を過ごした自分に、太陽はまるで「明けない夜はない、夜明け前が一番暗く感じられるものだ」と語りかけてくれているような気がします。
「もう一度やってみようか…」、人はときにこのように人間以外のものからメッセージや支えを受け取ったりすることがあります。
因果論の通用しないこのような精神活動が、誰の心にもセットされています…

問題が起きた時、その原因を追求し、根本の除去によって解決を図れるのは限られたことです。
人の悩みの解決にはいくつもの方法があり、解決した姿もさまざまであることを忘れないようにしたいと思います。


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