学園日誌

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学園日誌

特別支援教育のスタンダード 1


今号は、『通常学級での特別支援教育のスタンダード』(東京書籍)をご紹介します。本書では、「包み込むモデル」によって、発達にかたよりのある子どもたちが育つ「環境を整える」という視点で作られています。この視点と考え方は、西濃学園と共通するもので、また、より良い教育のためにさらに模索をしていかなければならない基本姿勢だと思います。包み込むモデルの必要性は、「学校適応を図る」という視点からは明らかですが、単に「適応する」ということだけでなく、この環境の中で発達障害のある子がどう「育っていく」のかという視点からも大切なことだと分かっていただき、共感していただけたらと思います。


 


 発達障害のある児童生徒は学校の中で、多くの失敗状況にさらされます。そして、この過剰な失敗体験は、彼らの成長に停滞や迂回を生じせます。発達障害のある子に対しても、発達障害のない子がたどるのと同様な成長の道筋が保証される必要があります。発達障害があっても、同世代の平均的な失敗量程度に抑える環境の整備が必要です。つまり、「同じ」を確保するために「特別」な環境作りが必要なのです。一方で、この「同じ」という考えをどんどん突き詰めていくと、障害があろうがなかろうが、等しく育ちやすい環境を作れるという発想につながっていきます。包み込むモデルは発達障害のある子を含んだすべての子が育ちやすい環境を提供するモデルです。


こうした「失敗体験の軽減」という機能以外にも包み込むモデルには、包み込む環境の中で育つからこそ学べるような教育的効果があります。発達障害のある子には「ハンディキャップ」が生じます。ハンディキャップとは「社会的不利」を意味する言葉です。障害があること自体は、もちろん本人を苦しめますが、さらにそこから生じる数々の現実的な「不利」や「損」が彼らを苦しめます。ハンディキャップは自分以外の人(社会)からの支援によって大幅に減らすことができます。しかし、ハンディキャップの軽減は他者から与えられるだけでなく、自分自身でもできることなのです。発達障害という障害は他の障害と比べても本当に分かりにくくて、補聴器や眼鏡のような明確なハンディキャップ軽減法がありません。発達障害の人のハンディキャップ軽減の方法は目に見えないものになります。そして、それは本人自身が持っている「工夫をする能力」なのです。例えば、認知能力の中で記憶に障害があるLDのある子は、日常生活でいろいろな忘れ物をしてしまうかもしれません。その時に彼が「メモを取る」という「工夫」をするとハンディキャップが軽減されます。計算が苦手な子は計算機を持ち歩くことでハンディキャップが軽減します。それぞれの特徴に応じた工夫を無限にできるようになれば、障害をもっていてもハンディキャップ部分が少ない状況を作ることは可能なのです。


そこで、我々は発達障害のある子を工夫のできる子に育てたいのです。そうした能力を伸ばしてあげることが大人ができる最大のプレゼントになります。ここで、我々自身、どうやって工夫する能力を身につけてきたか考えてみてください。工夫は、実は「模倣」から始まっているのです。例えば、職場では先輩が工夫する様子を見て「あんなふうに工夫をすればいいんだ」と、その工夫内容だけでなく、その姿勢や方法を学んだのではないでしょうか。工夫する姿勢やコツは、模倣学習(専門的にいえばモデリング学習)によって、身につくのです。つまり、工夫できる子に育てるためには、周囲に「工夫するモデル」が必要になります。つまり、「包み込む環境」は「工夫であふれた環境」と言い換えることができるはずです。工夫の中で育つことが、彼らの中に工夫するという視点を育て、生涯役に立つ姿勢と能力を育てるのです。


また、包み込むモデルの説明から生じる懸念の一つに「このような守られた環境でぬくぬく育つことで厳しい社会の中で生きていけるのだろうか。社会的自立を妨げているのではないか」というものがあります。つまり「甘やかし」にはならないかという心配です。人はいつもいつも守られているわけでもなく、守られ続けられるわけでもありません。もし、社会的自立を妨げるようなことが起きているのであれば、包み込むモデルは教育モデルにはならず、子どもをダメにするモデルということになってしまいます。そこで注意すべき視点は、彼らの周囲に作られた包み込む環境が、彼らの成長・変化を生んでいるかどうかということになります。大切なのは、彼らの内部にどのような変化が生じているかということです。


では、包み込むモデルによって、彼らの内部にどのような変化を作り出せばよいのでしょうか。次号では、子どもの内部を見ることについて、学んでいきたいと思います。



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