学園日誌

diary

学園長のひとりごと

はは親の切ない思い

 高専を中退し、教師を目指し大学を受験しました。現役は予想( ? )通りすべてが不合格で一浪(ひとなみ)となり、予備校に通わせてもらいました。正直、生まれて初めて勉強したと実感したものです。しかし、受験校は次々と「桜散る」の合否電報を受け取ることになりました。最後のチャンスとして、富山大学の教育学部を受験しました。自分としては、何とかなるのではないかと思い、合格発表を見に行きました。合格発表の掲示板を食い入るように見たのですが自分の番号は見当たりませんでした。何かの間違いではと思い、もう一度しっかりと見たのですが、やはり私の受験番号はありませんでした。雑誌「蛍雪」の体験談の「雪崩のような衝撃」よりもっともっと強烈な打撃に襲われ、どのようにして自宅まで帰っていったのか今もって良くわかりません。家に帰ると母が待っていてくれましたが、私の顔を見れば明らかに「落ちた」と分かったはずです。もしこの時、母が私に「よく頑張ったのだから」とか「来年もう一年頑張ったら」という優しい言葉が掛けられたら、私は「お母さんは僕の気持ちを何も分かっていないのに、うるさい」と怒鳴ったと思います。母は何も言わず黙っていました。多分何も言えなかったのだと思います。だから私も何も言えず部屋に閉じこもるしかできませんでした。今思うと思春期の複雑な我が子にずいぶん苦労したことと思います。今になってこのことを思うと素直に「お母さん」とささやいております。



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